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フロントに荷物を預けたら、行動開始の時間だ。
ちょうどホテルの前に停まっていたタクシーに「龍山寺まで」と告げる。
タクシーは台北の街を走り出した。
夫と「あ、ここ!」とか「総統府やね」「北門がある」「中正紀念堂や」など、観光客丸出しで喜びながら見た。
車窓の外側に流れる景色はどこも「さすが首都台北!」と思える有名な場所ばかりだった。
そして、それこそ超有名な龍山寺に到着。
龍山寺の前にはいつもお供えの花を売る女性がいるが、その中の一人から花を買った。
いい香りがして大好きな花だ。
花を売る女性は年配の方が主だが、珍しく若め(つまりは同世代、中年ぐらいの)の女性だった。
早速香りを楽しんでいると、女性観光客のグループの一人がメモを見せてきて「知りませんか?」と言った。
よく見ると、蘭の花にはきらきらしたラメがふりかけてあった。斬新!
メモには「福州元祖胡椒餅」と書いてあったので、ちょうどタクシーを降りた後、駅に何かの用で寄っていた夫が戻って来たので場所を訊いた(私も2度行っているが、方向音痴なのだ)。
私たちの会話を聞いて、「あれっ!日本人ですか?」と言われる。何人と思ったんだろう?
「場所がわかりにくいから気をつけてくださいね!」と言って彼女達と別れた。
龍山寺に入り、熱心なお参りの人たちと太陽の熱気の中、何とか参拝を終えた。
龍山寺では今まで3本配られていたお線香がついに1本になってしまっていた。
同じく台北で観光客に人気の行天宮では、環境保護の為にお線香もお供えもすべて廃止になってからしばらく経つが、龍山寺でもそういう風になるのだろうか?
お供えはともかく、お線香の煙は仏様の食べ物だと習ったので廃止して良いものなのか?と疑問に思える事案だ。
お参りをして、龍山寺エリアにある行きたかったお店に行ったが、生憎閉店状態だった…。
何とその店にはFacebookページもあったが、中国語でおそらく「いつ開けられるかわからない」的な事が書いてあった…。
おじいさんが一人で営んでるお店なので(食器などを扱う金物屋さん的な店)、何か事情があるのだろう。
もし、おじいさんの体調の問題ならば元気に回復して欲しいと願うばかりだ(お店の存続は二の次にして)。
しんみりした気持ちになり、次の場所へ向かった。
今年の年始にも行ったスターバックスへもう一度向かった。
古い建物(萬華林宅)をリノベーションした萬華店限定のマグカップなどを見に行ったが、あまり欲しいものがなくて、残念な気持ちで店を後にした。
夫が「腹減った」とうるさかったので次の場所へ移動。
美しい建物の中庭にはテラス席もある、居心地の良い素敵なスターバックス。
スターバックス、日本ではほとんど行かないが、旅先だと行ってしまう。
スターバックス萬華店の近くに有名な??阿龍炒飯があるので寄ってみたが、何と満席で入れず。
前に行った時は定休日で入れなかったし、あまり縁がないんだろうか?
いや、そんな事はない(はず)!
今度は絶対美味しい炒飯をたべてやる!
結局、MRT龍山寺駅へ行き、MRT駅構内にあるセブンイレブンでOPENちゃんグッズを控えめに(2個)買い、MRT板南線に乗って忠孝敦化に向かった。
忠孝敦化駅に着き、いつものように大通りから中に入った。
本当はこの辺りをゆっくり散策したいのだが、夫がやたらプレッシャーをかけてくる(腹減った!の)ので、とにかく何か食べさせないといけない。
この街に来た1番の理由は百果園に行く事だが、いきなりマンゴーかき氷って言ったら嫌がるだろうしなぁ(こう言うのが積み重なって、ひとり旅をしたがるのだって言うことを夫には理解して欲しい。せめて自由行動をする時間ぐらいくれたらいいのに…。台湾にいる時ぐらい、好きな時間に好きな場所を見て好きなものを食べたい…私、間違ってますか?)。
通りすがりに出会った小さい可愛い黒いトイプードル (手をペロペロ舐めてくれた)をなでさせてもらいながら、そんな事を思い、ため息をついた。
ため息をつきながらも良い事を思い出す。
夫に「だまって私について来たら美味しいものが食べられるで!」と言い、その店に向かった。
しかし、夫には「美味しいものが食べられる」と豪語したが、私ももちろん行くのは初めての店だった…。
「その店はちゃんと思ってる場所にあるのだろうか?そして今は営業中なのだろうか?」と不安だったが、ちゃんと思ってる場所にあったし、営業中だった。
しかも満席!それも地元の人ばかりだ!これは期待できる。
若干強面の男性が迎えてくれたので、一瞬「おっ」と思ったが、超親切な人だった。
ラッキーな事に一つだけ空いてた席に案内してくれた。
ここからは写真と共に紹介したいと思う。
台中で行った虹彩村と同じく、この店のルーツも第二次大戦後台湾に渡って来た国民党軍の居住地の集落である、眷村である。
なので、店内のインテリアも眷村華やかなりし頃の雰囲気にしてあるのだろう。
まず頼んだのは卵炒飯。
これがまだ美味しくて…!
シンプルながらも家庭では永遠に出せそうもない味だ。
ちなみに、先ほど龍山寺エリアで行けなかった店ではこんな感じのレトロなお皿を扱ってると聞いたので行きたかったのだった…。
どなたか、こういうい薔薇柄のお皿を売っているお店をご存知の方、何卒教えてくださいませ。
よろしくお願いします!
こちらはじゃがいもを千切りにしたものの炒め物。
この店の味のルーツは
四川系なのか、辛いものが充実していた。
これもわりと辛めだった。
この炒め物も花椒が効いてて後引く美味さ。
店員さんにも「いいチョイスだよ?!」と言われた。
そして回鍋肉!
これがまた美味しくてね?!
日本で食べたり作ったりする回鍋肉と言えば甘味噌味が定番だが、これは甘みはほとんど無く、にんにくを効かせたパンチのある味だった。
白ごはんがすすみまくり!
ちなみに、台湾ではおかずを取り皿に取らず、直接ごはんに載せて食べるのだが、つい癖で取り皿に取ってしまう。
しかし、やはり直接ごはんに載せるほうが美味しい!
これからは食べるものに迷ったら、こういうおかず+白ごはんを食べられる食堂に行く事にしよう。
注文はこの写真の右端にちょこっと写ってる注文票に記載して渡すシステムだったが、日本人観光客用に料理名とどんな料理が丁寧に日本語で説明したノートが置いてあった。本当に!いい店である。
こちらでも18日間限定の台湾?酒を飲んだが、何と
5元当たりだった!
店員さん(最初に案内してくれた強面の)がにこにこして"You're lucky!"と言ってくれた。
このレトロ感が好きだ!
店員さんもめちゃくちゃ親切だし、料理も最高!
おまけにすぐ近くに座ってた女性のお客さんまで親切で「あそこに置いてあるチリソースが美味しいのよ」と教えてくれたり…。
台北って大都会だけど、人が本当に優しい。
目も舌も、心までも大満足した最高の店だった。
これが店の外観。店名は「陸光」である。
一見、観光客には厳しそうな店構えだが、臆せず入ってみて欲しい。
店の前では台湾の定番の味、滷味も。
次回はチャレンジしたい。
皆さまも陸光→百果園でデザートのゴールデンルートをぜひお試し頂きたいと願う。
そして百果園、なのだが百果園は週末旅行にはちょっぴり厳しい「日曜日定休(しかも土曜日は17:00まで)」であるため、土日に台北滞在の今回の旅行では急いで行く必要があったのだ。
第一目的はもちろん、「夏のマンゴーは百果園で食べる」と決めてるからなのだが、今回は別にも目的があった。
このブログでも何度もお名前を出させて頂いてる、はんこ作家で名著「台湾のたびしおり」著者であるayacoさんのはんこが、毎日一種類ずつレジのあるカウンターに置かれていて、自由に押すことが出来るんだそうだ。
そして、なんとそのはんこのミニ版も販売されているのだ!
その事をayacoさんのInstagramで知った私は、「台湾旅行が決まってるなら取り置きも出来るらしい」と言うことを知り、早速Facebookの百果園宛にメッセンジャーを送信した(中国語は出来ないので、へっぽこな英語で9月16日の午後に伺います、との事と希望の種類のはんこを書いて取り置きをお願いした。するとすぐ返事をくださって、快く了承してくださった。念のため、当日午前中に「本日伺います」とメッセンジャーを送信した)。
店内に入ると、いつも優しそうな店長さんがいらっしゃったので、メッセンジャーの画面を見せながら「今日お約束していた…」と切り出すと「のむらさんですね」と日本語で返事してくださった。
無事5種類のはんこ+1種類追加で選んだはんこの6つのはんことマンゴーとグァバのジャム、そして今食べるためのマンゴーかき氷で会計してもらった。
なかなかの金額になったが、なぜ昨日から私はおやつの店でばかり散財してるのだろう???
嬉しいからいいんだけどさ。
鳳梨釈迦という美味しいフルーツをモチーフにしたもの。可愛い!
夏の楽しみ(この店では一年中食べられるが)マンゴーかき氷!
見た目も味も上質そのものである。
ちなみに百果園についてはで詳しく書いてますので、良かったらお読みくださると嬉しいです。
百果園を出て、MRTの駅に向かう。
東區地下街に入ったので忠孝復興駅まで歩く事にした。
忠孝復興駅から西門町まで行き、大遠百(前夜台中でも行った)に寄った。
夫情報によると、金魚型のティーバッグでお馴染みの北投にあるCHARM VILLAが中秋節のギフト売り出し期間中だけ、この西門町の大遠百でポップアップストアとして出店しているのだそうだ。
今や何と京都にも出店しているが、台湾では北投の店に行くか(それも予約しないとなかなか買えない、と聞いてめんどくさがりの私はとっくの昔に「じゃあ、いいわ」と投げていた)、今回のようにポップアップストアで買うしかないのだ。
京都までは自宅から車で一時間程度だが、せっかくだから台湾で買いたいし…。
「どこにあるんやろ?」と言いながら大遠百に入ったら、何と目の前に特設売り場があった!
早速店員さんにギフトボックスに入った金魚のティーバッグの種類を教えてもらい(各種詰め合わせが欲しかったが、生憎一種類しか入ってないものばかりだった)、なおかつ店員さんのおすすめも訊き、薔薇烏龍茶のティーバッグに決めた(これが1番薔薇の花びらが透けて綺麗に見えるんだそうだ)。
西門町もぶらぶらしたかったが、ちょっともう疲れて限界…。
大遠百前で客待ちしていたタクシーに乗り込み、ホテルまで戻った。
時刻は15時まであと少し。
そろそろ部屋に入れる頃だろう…と思ったが「もうちょっとだけお待ちを」と言われてしまい、ロビーで待たされた。
その間に二軒先にあるファミリーマートでお茶やお菓子(台北で有名な箱入りの佳徳のパイナップルケーキが売ってたので購入。コンビニではたまにしか見つけられないので、見かけたらすかさずゲット)を買い、またもや先ほどのロビーで待った。
ようやくカードキーを渡され、8階(実際には7階。縁起の悪い"四"階を無くしてあるため。日本語と同じく、中国語でも"四"と"死"は同じ発音なのだ)の部屋に通された。
扉にはこのように↓書いてあった。
よし、まだまだ貪欲に台北を攻めて行くぞ!と言うわけで英気を養うためにしばらく部屋にて休憩。
四川 ゆたかな未来のパートナー
羌族は3000年以上前から存在し、縄文人のルーツであり、春秋戦国時代の斉を建国し、秦の国も同族の国で、ついには斉、秦は日本列島に渡来し、邪馬臺国からヤマト朝廷になりました。
我々の本家である羌族を調べる。
世界遺産の九寨溝、四川省西北部の「アハ・チベット族・羌族自治州」
参考
@ 中国文明:遊牧民族「古代羌族」の歴史()を丸々コピぺし、新知識を挿入しました。
この「羌」とは一体何者なのか?調べてみました。
>羌という文字は甲骨文のなかに頻出する。商(殷)王朝と戦って捕らえられた羌人は人身御供、つまり祭祀の生贄とされたのである。→
>古代羌族(きょうぞく)は、陜西省から寧夏回族自治区(ねいかかいぞくじちく)にいた遊牧民族で、白狼を崇拝し、自らを白狼の子孫一族としています。
>羌族はチベット系民族ですが、その呼称文字の「羊」から知られるように、西アジア地域の遊牧民族で、やがて、中国西部に広く勢力を伸ばしてきます。三皇五帝以前より、度々中原に進出し、葛藤と同化を繰り返します。やがて同化し、漢民族とし漢水の上流にいる羌族を南羌族、青海周辺に居る羌族を西羌族と呼ばれます。
南羌族は周王朝建国の功労者「太公望」の故国であり、後に漢民族の大姓となります。→ 斉、秦のルーツ
その時代になると、南羌族のトーテムは「羊」に変わっています。「白狼」崇拝は、西羌族だけとなり、彼ら一族は、時に胡人とも呼ばれるようになります。
・・・漢水とは長江の支流のことで陝西省の南部を指します。
>チベット高原の東端、四川省西部の山岳地帯は、かつて幾つもの古代民族が移動と興亡を繰り返した地域である。数千年前、中国西北部の古代民族「羌」の一部は故地を追われ、新たな土地をもとめてここを南下したという。現在、この一帯に居住するチャン族やギャロン、白馬、ナムイなどのチベット族および雲南のプミ族は、この古代「羌」の末裔と目される人々である。
ここで中国の地図を載せておきます。青海湖辺りに西羌族、天水辺りに南羌族がいたわけですね。
A -1 wikiによると現在の男系男子の子孫、チャン族の生活
A-2 チャン族の生活()
主に
四川省アバ・チベット族チャン族自治州内の茂県、?川県、理県及び松潘県、更に綿陽市内の北川チャン族自治県に住んでいる。
チャン族は中国の古い兄弟民族であり、古くは殷代の甲骨文字の中に、羌人に関する記載がある。古代の羌人は分布が広く、中国の西北,西南,中原の一部の地方にもその活動が見られた。その後、時代を経て古代羌人の一部は現在のチベット・ビルマ語族の中の各族に発展変化し、別の一部はその他の民族、とくに漢族と融合した。ただ、岷江上流域の渓谷に生活する一部の羌人はさまざまな要因によって今日までその姿をとどめている。
2008年の
四川大地震で激しい被害を受け、チャン族の文化は保護復興事業の対象にされている。
トウモロコシ、大豆を主とする農業に従事している。チャン族の人たちの生活しているところは山峰が幾重にも重なりあい、河川が縦横に流れており、またパンダとキンシコウの主な生息地でもある。
チャン語を使い、この言葉は漢・チベット語系、チベット、ミャンマ語族、チャン語派に属する。南、北の2種類の方言があり、一つの方言は5つの地方の言葉に分かれている。チャン族の人たちのほとんどは漢語に通じている。チャン族には自民族の文字がなく、なが年漢語の文字を使っている。
チャン族の人たちは昔から万物に霊魂があるとする原始宗教を信仰してきたが、チベット族の人たちと一緒に暮らしている少数のチャン族の人たちはラマ教を信仰している。
A-3 チャン族の同族
チャン族のもう1系統は、西南へ移動した。今日の中国西南部のイ族(彜族)、ダイ族(?族)、ぺー族(白族)、ハニ族(哈尼族)などは、歴史の記載と風習からみて、チャン族の末裔であろう。
イ族は「羅羅」と自称するが、『山海経・海外北経』に「羅羅」の記載がある。『漢書・地理志・張掖郡・番和』ではチャン人を「羅虜」と呼び、『大明一統志』では四川省のイ族を「羅蛮」、雲南省西部のイ族を「羅羅」と呼ぶ。『華陽国志』も『後出師表』も雲南省、四川省、貴州省のイ族を「青羌」と呼ぶ。『蛮書』ではイ族の先祖は「羌虜」であるとさらにはっきりと指摘している。典籍を調べれば、「羌戎」と「羅羅」は実際には同一であることが分かる。
風習から見れば、イ族の火葬やたいまつ祭り、儺の仮面や儺祭りで踊る大鑼笙舞やヒョウの舞、トラの舞、ぺー族の多神教の習俗、万物に霊魂があるという信仰など、すべて古代チャン人の習俗と一脈通じる。今日まで伝えられている『哈尼阿培聡坡坡』という古い歌曲は、祖先の引越しの歌である。遡って追跡すれば、茶馬古道は実は古代チャン人の西遷の神秘な道であると思っている()。
B wikiによるとタングートや西夏も羌族の後裔
C
D
E
F
G
H 太陽暦
イ族が発明したといわれる『十月太陽暦』は、実は古代チャン人の聡明な知恵の産物であり、秦の時代に実施された『十月太陽暦』の源はここにあると考えている()。
注B 現在の太陽暦はローマ時代、西暦紀元前45年にシーザーによって制定された。日本へは江戸時代に入ってきた。中華文化圏、イスラム諸国は太陰暦を採用してきた。
注C 星の位置は一日周期の他、一年周期で変化します。すなわち海人族にはが必要であり、航海の吉凶と太陽暦による占いに関係がありそうです。季節の変化は太陽暦であり、季節風の風向きの変化、台風の時期の予測などが代表的です()。
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