長男は帰宅後、何も言わずゲームに戻ったので、また嫌なことを言われたのだろうごめんねと思いましたが、義兄の件がはっきりしないままなので、「何かお義兄さんのこと言ってた?」と聞きました
『言ってもどうせお母ちゃんが嫌な気分になるから言わん』
『だけどお母さんも病院の人と会うし、実際の所どうなんかなと思って』
長男は怒った口調で言いました
『じゃ言うけど、行ったらおばあちゃん達ふたりとも居間で寝てた。僕はその枕元で話した。しんどいんやと思う。そやのに、僕が帰るとき起きてきて何か持って帰らそうとするし、玄関に置いてる手押し車で買い物に行けるからええんや、って言うし・・・これって、明らかに放ったらかしやろ?!
そんな状態で買い物とか。
だから歯科の話も何もしてないはずやから、もう聞かんかった
この話してもお母ちゃんイライラするだけやからせんかったの!』
ごめん、気を遣わせた
・・そう、しんどいはず
だから電話で来たいと言ったのも、お互いに無理があったのです
病気と老いには勝てない
口は達者すぎて、身勝手なのは変わらないけど
それを世話するはずの嫁は心の病気だからと追い出したまま
長男をかばい続けたから、何もしない長男ができあがったのです
義兄は調理師なのにね
食事、洗濯くらいできるはず
だけど私はスーパーで会ったことない
義母が何を守りたかったのか?
義父母と義兄はお互いに自業自得だと私は思います
私の子ども達は、おじさんに対して、軽蔑しかありません
私がそうだからそうなってしまったのではなく、実際に数々の場面を見てきたからです
夫もいつも心配していた、義兄の頼りなさ、無関心さ、無責任さです
義母が癌だと言われたとき、義兄は病院の廊下で泣き出しました
(※すぐに死ぬと言われた訳じゃないです。それから今は五年経ちました)
私はあわてて階段の隅に連れていき、ショックはわかるけど泣いてる場合じゃないでしょう、やることたくさんあるでしょう、と言いました
私が手作りパンの発酵の途中で呼び出されて行ったときのことです
(その話を聞いた夫は情けない・・・色々すまんなと言いました)
でもその後はまるで第三者のような無関心さで、入院中のあれこれは私と義父がしました
『きっと、いずれおばあちゃん達が亡くなったら、大泣きしはるんやろな』
と私が言うと、長男は言いました
『ざまあみろ、や』
今までブログを読んで下さってる方は分かって頂けるかと思いますが、決して長男はこんなひどい言葉を普段使う子ではありません
それが、伯父に対しての軽蔑からそう言うのです
胸が痛いです
祖母に対しては、身勝手さや奇妙な価値観に対して許せないことは多々あり、出禁と思ってるし、母である私を守ろうとはするけれど・・・
長男にとっては、幼い頃から可愛がってもらった記憶も「同時に」あるからでしょう、祖母の強引さよりも、無責任な伯父に対する怒りの方が大きかったようです
弱った祖父母の姿は、私よりもやるせない思いだったのです
その悔しさが伝わりました
私はそう弱ってる状態だからと言って、家にお伺いする気はありません
そこは区別するつもりです
会話したらまた変なことを言うでしょうし、面倒を見るのは同居している義兄がきちんとみるべきだから
なれの果て、という語句が浮かびます
麦の穂さんひどい、と思われようが、それだけのことをされてきました
夫が見なくて、そこだけは良かったのかも知れません
そして、この義母と義兄のいる実家へ行ったところで夫は悩みを相談したり気が休まることはなかったのだと、今更ながら思うのです
・・・ごめんなさい
いつも迷います
夫は、やっぱり家に面倒を見に行って欲しい、仏壇にもお参りして欲しいと言うでしょうか
それとも、もう無理せんでええでと言うでしょうか
しんどかったらええで、というのが夫のような気がします
私自身は無理と思う間は何もするなと警告音が聞こえます
自分に問いかけながら、つかず離れずの関わりをしようと思うのです
義母家が守りたかったものって
何でしょう
ここまで読んで頂いて
たいへん感謝しています
ありがとうございました
義実家との関係は、夫の死別のあとのほうが
もっと大変だとつくづく思います
やっぱりいて欲しい・・・