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俺達のプロレスラーDX
第187回 俺に勝てば賞金をやるよ!〜悪ガキはリングの名人〜/アドリアン・アドニス
 

 
「亀田興毅に勝ったら1000万円」
 
元プロボクシング世界三階級王者の亀田興毅にボクシングルールで勝てば、1000万円が獲得できるというとんでもない企画が2017年5月7日、AbemaYVで放映された。
 
同番組は午後6時から5時間にわたって生放送されたが、視聴アクセスが殺到、第一試合の始まる午後7時40分ごろから第2試合の終わる21時頃まで一時的に配信サーバーがダウンする異例のアクシデントがあった。ユーチューブ、フェイスブックに誘導されて視聴は可能だったが、1300万アクセスを超えるAbemaTV開業以来、最多視聴数を記録した。
(中略)
「亀田興毅に勝ったら1000万!」は、一般の視聴者から挑戦者を募集、2983人もの応募者からオーディションと予選スパーリングなどを行い、ホスト、ユーチューバー、高校教師、元暴走族総長という強烈なキャラクターを持つ4人が選ばれた。安全確保のためヘッドギアと練習用の14オンスの大きいグローブを使い、一人3分3ラウンドの試合を亀田氏が順番に4試合戦う特別企画。判定ナシのKO、TKOのみで決着という特別ルールだった。 
 AbemaTVの関係者は「対戦相手を決める過程もあって、予約の段階で14万件もあり、現役時代から高い視聴率を残すなど人気だった亀田さんと、企画の中身に興味を抱いてもらったのでしょうが、予想以上の反響で視聴者の方々に迷惑をおかけしました」と説明したが、1年半のブランクを経た亀田氏が、個性のある素人相手にどんな戦いをするのか、という興味と話題性に、アンチファンを含めかつて亀田氏のボクシングを見てきた層を掘り起こしたのだろう。
【亀田興毅氏が1000万円マッチで配信サーバーをダウンさせた理由とは?/THE PAGE】
 
この番組で亀田は賞金首となったが、プロレス界でもかつて賞金首になった選手がいた。
 
2003年、新日本プロレスは魔界倶楽部の青年将校として大暴れした村上和成の首に賞金を懸けた。一試合に100万円を賭けて、村上が勝てば、100万円に持ち越し、次戦でさらに100万円を追加して200万円に跳ね上がっていく。村上の賞金首マッチは4戦行われた。
真壁刀義(現・伸也)、柴田勝頼、ブルー・ウルフ、金本浩二といった挑戦者達は村上の首を狙うも、誰も彼の首を獲ることはできなかった。
 
「俺と闘って、5分間、リングの中にいたら賞金1万ドルをやるよ!」
 
自らが賞金首となり、腕自慢の酒場の用心棒、地元の大学に通うアスリート、素人の観客を相手にプロレスのリング上で"キャッチ・アズ・キャッチ・キャン"ルールで対戦して次から次へと勝利して話題となったプロレスラーがいた。そして、彼はこの経歴を生かして、後に"ゴールデン・ボーイ"を名乗り、「俺に勝った奴には5000ドルをやる」というギミックで強豪プロレスラー相手に賞金首となった。
 
男の名はアドリアン・アドニス。
 
185cm 127kgの肉体を誇り、"暴走狼"の異名を持つレスリングに絶対に自信を持つ天才児。どんな相手でも試合を成立させ、シングルプレーヤーとしても、タッグプレーヤーとしても一流だったのがアドニスだ。彼はリングの名人だ。そんな彼はガチンコやシュートに強かったため、賞金首になることも、素人相手の番人になることも厭わなかったのかもしれない。
 
普段のアドニスはリング上と同様で悪ガキがそのまま大人になったかのような性格だったという。プロレスライターの斎藤文彦はアドニスについてこう評している。
 
そばかすだらけのやんちゃ坊主がそのままオトナになったような男だった。悪ぶってみせるけれど、甘えん坊で、でも自己顕示欲は強く、いつも“ここではないどこか別のところ”に夢をはせていた――。
【不良っぽくて寂しがり屋のエイドリアン――フミ斎藤のプロレス読本#037 特別編アドリアン・アドニスIn Memory of Adrian Adonis/日刊SPA】

 
そんな悪ガキが歩んだレスラー人生とは…。
 
アドリアン・アドニスは1953年9月15日アメリカ・ニューヨーク州ニューヨークシティに生まれた。本名はキース・A・フランクという。高校時代はフットボールに熱中したアドニスは卒業すると、CFL(カナディアン・フットボール・リーグ)のトライアウトを受け、プロを目指したが、一人の男と出会ったことによって彼の運命が変わる。
 
フレッド・アトキンス。
 
1940年代はオーストラリアで活躍し、オーストラリア・ヘビー級王座を通算3回獲得。1947年より北米地域に移動し、フランク・タニーが仕切っていたカナダ・トロント地区を主戦場に活動、ホイッパー・ビリー・ワトソンやジョニー・バレンタインとタイトルを争った。
1952年12月10日には、この年アメリカ初遠征の力道山とシングルで対戦し引き分ける。レオ・ノメリーニやタム・ライスと共に、同年に力道山が200戦以上行った試合の中で勝てなかった3人のうちの1人であった。日本には1963年に初来日し、日本プロレスの第5回ワールドリーグ戦と世界選手権シリーズに参戦、キラー・コワルスキーと組んで力道山&豊登のアジア・タッグ王座に挑戦している。1968年には国際プロレスのオープニング・ワールド・シリーズにレフェリーとして来日した。
日本ではプロレスラーとしての経歴より、ジャイアント馬場のアメリカ修行時代のコーチとして知られており、馬場以外にもアート・トーマス、タイガー・ジェット・シン、アドリアン・アドニスなどのレスラーを育てている
フレッド・アトキンス/wikipedia】
 
アトキンスのコーチぶりについて、ジャイアント馬場の愛弟子である渕正信はこう語っている。
 
若手時代、力道山のしごきはそれは筆舌しがたいものだったらしく、「今同じことをやったらお前なんか1日でいなくなる!」なんてよく馬場さんに言われていたことを思い出す。しかし、アトキンスとのトレーニングはそのしごきに勝るとも劣らないものだったようだ。初めてのアメリカ遠征からの帰国時、馬場さんの太ももの太さはは遠征前の時より一回り太くなっていた。積雪の中、もも上げダッシュを何度もやらされたと実際馬場さんから聞いた。走ることに関してはプロ野球時代の練習でかなり経験あるが、あのダッシュには心底参ったと笑いながら話してくれた。頑固親父と書いてフレッドアトキンスと読むなんてことも言ってたなぁ(笑)。どんなにハードな試合のスケジュールでもトレーニングを休むことは許さなかったらしい。なんやかやと約1年半しごかれ、尚且つ馬場さんのマネージャーでもあった。頑固ながら優しい面もあり一本気なアトキンスの性格に馬場さんは好感を持っていた。
フレッド・アトキンス/渕正信 酔々ブルース】
 
鬼コーチ・アトキンスのスカウトされ、プロレスの手解きを受けたアドニスは1974年に本名に近い「キース・フランクス」というリングネームでデビューする。アトキンスのコーチを受けたアドニスは馬場やシンの弟弟子なのだ。
当初はベビーフェースとして活動。ニューヨーク、フロリダ、ロサンゼルスなど各地を転戦し、キャリアを積んでいったアドニスはヒールの才能に目覚めていく。
 
1978年、アドリアン・アドニスに改名する。ちなみに日本ではアドリアンと呼ばれているが、本当はエイドリアンという。エイドリアンはイタリアとユーゴスラビアの間に位置するアドリア海から来た人間、アドニスはギリシャ神話に出てくる女神アフロディテに愛された美少年アドニスからきているという。このリングネームの名付け親となったのは実はテリー・ファンクだったという。
 
アドニスに改名してから生まれたのがあのシュートの強さを買われた賞金首キャラ"ゴールデン・ボーイ"だった。アドニスは自身のシュートの強さと秘訣についてこう語っている。
 
「普通の喧嘩は先手必勝で、先にブン殴っちゃった方が絶対有利だろ?ところがいざリングに上がってしまうと、素人は皆にいいとこ見せようとして、格好つけてしまうんだよな! それも緊張もしてるから、そうそうパンチなんか当たるわけがない。軽くいなしておいて、マット・レスリングに引きずり込みゃあ、あとは2,3秒だったね。
(中略)
(誰から喧嘩術を教わったのか?)フレッド・アトキンスさ。
(中略)
3ヵ月ぐらい、少ない貯金を全部フレッドに払ってね、徹底的にマット・レスリングを教えてもらった」
【超一流になれなかった男たち 流智美/ベースボールマガジン社】
 
ちなみにプロレスラー相手に実施した「5000ドルチャレンジ」と銘打って行われた「アドリアン・アドニスに勝てば5000ドル」に名を連ねた男達の名がそうそうたるメンバーだった。
 
ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンク、ケビン・フォン・エリック、スコット・ケーシー、ブルーザー・ブロディ、リッキー・ロメロ、タリー・ブランチャード、テッド・デビアス、ヘイスタック・カルホーン、アンドレ・ザ・ジャイアント、ディック・マードック…。
 
だが、これだけの強豪相手でも、アドニスは賞金を渡すことはなかった。
 
 そんなアドニスに転機となったのが1979年のAWA参戦だった。
 ジェシー・ベンジュラと「イースト・ウエスト・コネクション」を結成し、AWA世界タッグ王座を一年近く防衛を続けたのだ。
 
ベンジュラとアドニスは、1979年の夏にAWAでめぐり逢った。ベンジュラはマイクを握らせたら止まらない"おしゃべりの達人"だったけれどレスリングは不器用で、アドニスはレスリング・センスは天才的なものを持っていたけれどTVインタビューが苦手なレスラーだった。ふたりはコンビを組むことでおたがいのキャラクターを最大限に有効活用した。試合はアドニスはが動き回り、ベンジュラがとどめを刺すというシンプルなパターンをこしらえた。TVインタビューの収録ではベンジュラがしゃべりまくり、アドニスはコワイ顔をしてよこに立っているだけでよかった。タイツとシューズ、リングコスチュームはできるだけド派手なものを身につけるようにした。
【レジェンド100 アメリカン・プロレス 伝説の男たち 斎藤文彦/ベースボールマガジン社】
 
ベンジュラとのコンビがAWAでウケたことによって目を付けられ、1981年にWWE(当時・WWF)入りを果たすと、二人はWWE世界タッグ王者となった。また、アドニスはWWEではシングルプレーヤーとしての活動もスタート。ボブ・バックランドが保持していた世界ヘビー級王座やペドロ・モラレスが保持していたインターコンチネンタル王座にも挑戦したことがある。
 
鼻っ柱が強過ぎて(ブロディほどではなかったが)各地のプロモーターとモメた話は随分あったが、根はいいヤツだったと思う。
「あなたのホームリングは?」と聞いた時、
「デンバー、サンアントニオ、サンディエゴ、サンフランシスコ、セントルイス、アトランタ、ニューヨーク…そんなとこかな?」と答えている。
普段ホームリングは、と聞けば一つだけ挙げるものだが、当時のアドニスは全米のあらゆるテリトリーでトップを取っていたから、前述の羅列は決して嘘でも自慢でもなかった。
(中略)
全く横のつながりのないテリトリーを股にかけてトップを取っていたのだから、今思えば大変な実績で私のインタビュー時点で28歳だったことを思えば信じられない偉業である。
【超一流になれなかった男たち 流智美/ベースボールマガジン社】
 
WWE入りをしたことで、当時提携していた新日本プロレスに初来日することになったのが1982年7月のことだった。背中に"NY"というロゴがプリントされた黒革のライダーズジャケットと黒革のキャップをトレードマークの"アメリカの暴走族"キャラはこれまでの新日本にはあまりいないタイプのレスラーだった。"暴走狼"、"マンハッタン・ライダー"というニックネームで新日本に定着していった。また前方からのアトミック・ドロップ(マンハッタン・ドロップ)を日本に伝達したのもアドニスだったちなみにアドニスが得意技にしていたブルドッキング・ヘッドロックも他のレスラーと少し違っていて、ヘッドロックをかけている左手を相手をキャンパスに叩きつける際に左ひじを立ててエルボードロップを落とすかのように敢行するのが彼のスタイル。トップロープに昇ればほぼ十中八九、相手にカットされて股間を打つのは定番ムーブだった。
 
元・新日本プロレス・レフェリーであり、外国人レスラー係を務めていたミスター高橋はアドニスについてこう語っている。
 
「全盛期の新日本プロレスを支えてくれた名脇役のアドニスを、私はプロフェッショナルな男として非常に高く評価している。
(中略)
アドニスは、マッチメイクに関しても非常に従順なレスラーだった。こちらがどんな要求をしたとしても"イエス・サー、ボス"と応じ、いざ試合が始まれば相手の良さを引き出すファイトで会場を大いに盛り上げる。これこそがプロフェッショナルレスラーだと感心させるふるまいだった」
【悪役レスラーのやさしい素顔 ミスター高橋/双葉社】
 
日本ではアドニスはタッグプレーヤーという印象が強い。中でも1983年3月シリーズにボブ・オートン・ジュニアとの「マンハッタン・コンビ」は日本のプロレス界に衝撃を与えた。
 
あれは同年3月4日相模原市総合体育館でのアントニオ猪木&木村健悟(当時・健吾)と対戦したタッグマッチ。急造タッグにもかかわらず、自由奔放に傍若無人にリングに暴れ回るマンハッタン・コンビに猪木も木村もタジタジとなった。さらにアドニスは木村との攻防で、まるで"足関十段"今成正和を彷彿とさせるような自分から寝転んでから相手をテイクダウンさせるテクニックまで披露。思わず解説の山本小鉄が「うまい!」と舌を打つほどだった。
 
ただでさえテクニシャンである二人なのにクイックタッチを繰り返し、タッチの際は相手を抑えてからの一撃を加えてから成立させるなど、コンビネーションも抜群。さらにこの試合で二人は今まで見たことがない三つの合体技を見せつけた。
 
1つ目はオートンがベンジュラム・バックブリーカーに捉えたところに、アドニスがダイビング・エルボードロップを投下する合体殺法。後にWWEでザ・デモリッションが”デモリッション・ディキャピテーション”としてフィニッシュホールドとする合体技である。ちなみにこの派生技にはジョニー・エースとマイク・バートンが得意にしていたムーブメント・ドロップ(サイドバスターとギロチンドロップの合体技)などがある。
 
2つ目がアドニスがパイルドライバーで相手を抱えているところに、オートンが相手に両足裏を持ってパイルドライバーをアシストする"ハイジャック・パイルドライバー"。派生技にはテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスの合体パワーボムなどがある。
 
3つめが猪木&木村とのタッグマッチのフィニッシュとなった合体技。オートンがバックドロップの態勢で抱えているところにアドニスがトップロープからダイビング・ラリアットで飛んでくる"ハイジャック・ラリアット"。派生技にはロード・ウォリアーズのダブル・インパクトがある。
 
"ハイジャック殺法"といえば、後に長州力が率いる維新軍のお家芸ともいえるコンビネーションなのだが、この元祖はマンハッタン・コンビだったのだ。
 
3つの合体技を1つの試合で投下したマンハッタン・コンビ。これらのムーブが後にタッグマッチにおける定番攻撃となり、その原型が変化していき合体技は進化していった。そう考えるとこの二人は日本のプロレス界の試合スタイルを変えてしまったのかもしれない。当時、マンハッタン・コンビは全日本で大暴れしていたミラクル・パワーコンビ(スタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ)の対抗馬として目されていたという。コンビネーションだけなら、この二人はハンセン&ブロディよりは一枚上手だった。
 
だが、オートンがその後来日が遠のいたことで、日本でのパートナーを失ったアドニスは、これまた天才レスラーの"狂犬"ディック・マードックと「ノース・サウス・コネクション」を結成する。こちらも名コンビとなった。ミスター高橋は「ノース・サウス・コネクション」についてこう語っている。
 
「マードックの快活なファイトに目が行きがちだったが、実はチームを光らせた部分ではアドニスのほうが上だった。彼の持つプロレスの"うまさ"で負け役を一手に引き受けたからこそ、タッグの面白さがファンに伝わったのだと思う。アメリカ南部テキサス出身のマードックと、北部ニューヨーク出身のアドニスは、個性も人生観もまるで異なる。プライベートな関係では決して仲が良いとは言えない二人が、タッグチームとして高く評価されていたのは、主にマードックよりもアドニスの功績だったように感じている」
【悪役レスラーのやさしい素顔 ミスター高橋/双葉社】
 
「ノース・サウス・コネクション」は後にWWEに進出し、1984年4月にWWE世界タッグ王者となっている。
 
そんなアドニスは実は真の世界ヘビー級王者に輝いていたという。1983年5月、テキサス州サンアントニオで行われたSCW世界ヘビー級初代王者決定トーナメントにエントリーしたアドニスは決勝戦でボブ・オートン・ジュニアを破り優勝し、初代王者となった。"真の世界王者"を決めるトーナメントを制したアドニスはルー・テーズが保持していた旧NWA世界ヘビー級王座ベルトが授与された。
 
1984年からWWEに移籍したアドニス。だが薬物依存と過食症による体重増加に悩まされることになる。127kgの体重が145kgにまで増えてしまった。そして、この頃から暴走族アドニスが"ゲイ"キャラに変身する。日本への来日はピタッと止まった。
 
ピンクやパープルのタイツに厚化粧といういでたちでリングに上がるようになり、ダークブラウンだった髪もブロンドに染めていた。そして、ウェートが増えていつのまにか巨漢レスラーの仲間入りをしていた。WWEのワクにはめ込まれ“ひと山いくら”のスーパースターにされたエイドリアンは、心ここにあらずのプロレスをなんとなくつづけていた。ツアー日程が長く、ほとんど家に帰れないような状況のなかで――お金はかなり稼いでいたけれど――毎晩のようにドラッグを使うようになっていった。
【不良っぽくて寂しがり屋のエイドリアン――フミ斎藤のプロレス読本#037 特別編アドリアン・アドニスIn Memory of Adrian Adonis/日刊SPA】
 
WWEではロディ・パイパーとの抗争で知名度を上げたアドニスだったが、金銭は満たされても、やっぱりレスラーとして何かが満たされない。何のためにゲイになったのか、そんなもんビジネスのためだ。金がほしいからだ。でも、大金を手にして初めて気がつく。
 
「俺は骨の髄までプロレスラーなんだよ!」
 
WWEでの生活はリングの名人を疲弊させた。
 
「もう、あんな生活はゴメンだよ。ホーガンとのタイトルマッチ、ロディ・パイパーとのグラッジ・マッチではだいぶ儲けさせてもらったけど、やるべきことはやり尽くしちまったもんなあ」
【DECADE(デケード) 1985〜1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斎藤文彦/ベースボールマガジン社】
 
1987年9月、WWEを離脱したアドニスはリハビリ施設に入所することにした。元に体重に戻し、かつての"暴走狼"になるために…。そして、1988年5月、アドニスは久しぶりに新日本プロレスに帰ってきた。そこには体重を絞った"暴走狼"がいた。
 
「(今は)260ポンド(約118kg)ぐらいだな。WWFにいたころは、最高で330ポンド(約150kg)くらいまでいったことがあるから、合計で70ポンド(約31kg)の減量に成功したんだ。今回、日本に来てからも20ポンドくらい落としているんだぜ。ほら、よく見ろよ。ウエストも細くなったろ。毎日2時間ずつのワークアウトも欠かしてねえし、体の調子がいいぜ。不思議なもんでな、コンディションがよくなると、精神的にもずっと安定してくるんだ。心身ともにリラックスしてるし、物事に自信が持てるよ」
【DECADE(デケード) 1985〜1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斎藤文彦/ベースボールマガジン社】
 
何故、アドニスは日本でゲイキャラにならずに"暴走狼"でいたのか?
 
「あんな格好で日本に来てみろ、俺様のファンを失望させちまうじゃねぇかよ。
(中略)
髪をブロンドに染めたのも、ピンクのワンピースを着たのも、みんなビジネスのためさ。お前、まさか俺が本当のオカマだとでも思ってるんじゃねえだろうな?」
【DECADE(デケード) 1985〜1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斎藤文彦/ベースボールマガジン社】
 
アドニスには愛する妻と一人娘がいる。家でも不良としてツッパル亭主関白のアドニスをまるで母親のように見守る妻。そして、一人娘と遊ぶ時だけ、父親として顔をのぞかせた。
 
WWEを辞めたって、俺にはこの業界を生きている自信はある。
なぜかって、俺はリングの名人だから…。
 
しかし、この来日が日本でのアドニスのラストシリーズとなった。
 
1988年7月4日、アメリカの独立記念日に彼は突然、この世を去った。交通事故だった。
 
すでに各マスコミで報じられているとおり、去る7月5日未明、カナダ・ニューファンドランドで、アドリアン・アドニスが交通事故で死亡するというショッキングな事件が起こった。新日本「'88IWGPチャンピオン・シリーズ」終了後、アメリカに帰国したアドニスは、自宅のあるカリフォルニア州ベーカーズフィールドで数日間のオフを取ったあとカナダ・ノーバスコシアに遠征。今回の事故は、同エリアを自動車でサーキット中に起きたものだった。事故の直接の原因は、フリーウェイに飛び出してきたムース(大鹿)を避けようとしてガードレールに接触、そのまま車もろとも川に転落し、水死したものと見られている。
(中略)
アドニスの急死は、もの凄いショックを受けた。つい2週間ほど前、新宿で一緒に食事をしたばかりだけに、いまだに信じられない、というのが正直な気持ちだ。来日中は一日一食のメニューを守りとおしながらトレーニングに励み、ダイエットの効果も表れはじめてきたところだった。あれほどの大食漢だから、減量はさぞつらかっただろう。そういえば、3年前、ベーカーズフィールドの自宅を取材させてもらったときは、朝食に特大のエッグベネディクトを食べてから、腹が空いたといって、パンケーキを焼きながらタバコをプカプカ吸っていた。まったく不良少年がそのまま大きくなったような男だった。
【DECADE(デケード) 1985〜1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斎藤文彦/ベースボールマガジン社】
 
享年34歳、あまりにも早すぎる死だった。これからがさらに円熟味を増していって活躍が期待されたアドニスの死はプロレス界の損失だった。
 
だが、アドニスの死から二週間後、プロレス界はさらなる激震が襲う。ブルーザー・ブロディがプエルトリコで刺殺されたのだ。アドニスの死はブロディの殺人事件によって印象が薄くなってしまった。
 
このアドニスの事故死とブロディの刺殺。1988年7月に発生したこの二人の死には直接的繋がりはないが、"不思議な何か"で繋がっていたように思えて仕方がないのだ。アドニスは事故死する直前までダイエットに励み、元の"暴走狼"に戻ろうとしていた。ゲイキャラになった自分を悔い改め、プロレスラーとして生きようとしているかのようだった。そして、ブロディも1987年に紆余曲折の末、新日本から全日本にUターンし、亡くなる4か月前の1988年3月にジャンボ鶴田を破り、あの超獣が涙を流し喜んだ。試合後、ブロディは「全日本に辞めたのはミステークだった」と後悔し、全日本で頑張ろうと誓っていた。つまり二人とも"改心"して再出発を図ろうとしていた矢先の事故や事件だったのだ。
悪ガキだったアドニス、カリスマだったブロディ。非日常を生き抜いてきた二人のプロレスラーが人間に戻ってしまったが故の、神様の悪戯なのか、それとも…。
 
「レスリングをビジネスを取り巻く事情が変わってもな、お客を満足させるツボみてえなもんは変わらねえよ。いいモノってなぁ古くならねえ。ニューヨークのオフィスが俺にオカマへの変身を強要しても、リングの中にいるのはあくまでもアドニス様よ」
【DECADE(デケード) 1985〜1994 プロレスラー100人の証言集(上下巻)斎藤文彦/ベースボールマガジン社】
 
「いいモノは古くならない」
 
これは己の実力一つでプロレス界をのし上がってきたアドニスだからこそ発せられた金言だろう。そこには年をとっても、若くても"本物"になれば、廃れないし、生きることができるというアドニスの哲学なのだ。
 
「俺に勝てば賞金をやるよ!」
 
これも"本物"であるアドニスだからこそできたキャラでありギミックだ。いくら演じていてもそこにリアリティーがなければ、演じている域を越えず、人々の心には残らないものだ。そして、レスリングに対する絶対的な自信と自己顕示欲で悪ガキはリングの名人となったのだ。
 
アドリアン・アドニス。
早熟の天才が残した功績は時代が変わっても古くはならない。
 
 
 
 
 
 

フレッド ドラマ生まれる。

■またまた 新店さーん

 

●今日も 新店さんに 突撃でーふ

 

「 コーヒー ソレッラ 」 さーん

 Coffee Sorella

         〜 di Nakajima-gumi

 札幌市東区北23条東1丁目4−11

 堀江ビル 1階

 10時〜18時 定休日 火曜

 9月3日 開店ーー ほやほや

 ソレッラ つーのは イタリア語で

 姉妹 つー意味で オーナーさんに

 妹さんが いなさるそうで

 歌や 踊りを しなすってる  そうな

 店名の おしまいの

 di Nakajima-gumi

 ナカジマグミ つーのは

 オーナーさんと

 妹さんのことを 表してるらしい

 

 駐車場は んーー で 聞いてみた

 店前 2台 店横に 1台

 ようするに

 歩道上に 横づけ つーことらしい

 えええっ ? なんだけど

 どうやら ここらへんの 地域は

 これ 「 あり 」 らしい 

 

 だいじょぶかいなで 心配な かたは

 地下鉄で 行くか

 おいらは 北21条あたりの

 タイムズさんに 入れたよ 

 途中 「 夢見るスイーツ製作所 」 さんが

 あったよ

 

 お昼時を はずして 14時半 入店

 今のところ オーナーの お姉さんが

 おひとりで きりもりしている そうな

 こじんまりだけど 落ち着く お店で

 なかなか いー感じ

 お姉さん 函館出身で 名古屋の

 ボンタイン珈琲さんで 経験を

 つまれた そうな

 

 ボンタイン珈琲さん 北海道じゃ 

 知らない人が 多いだろうけど

 名古屋じゃ 老舗の 大手さーん

 たまたま 去年 デパートの催事で

 ボンタインさんの ブースが あって

 コーヒー豆を

 買わして いただいたので

 おいらの 知るところであーる 

 その時の ブースに こちらの

 お姉さんが 売り子さんで 

 いらした そうな

 ご縁つーのは あるんだよね

 おいらは やたら多い

 

 さてさて メニューは いろいろ

 あるけどー コーヒー類は もちろん

 食事は パンを 中心としたメニューね

 

 今日は 一押しの 

「 角食グラタン 」 セットを 

 いただいた 2種類あったけど

 デミトマトチーズを チョイス

 一品と コーヒー付き

 ご到着ー

 どひゃぁぁぁぁーー

 迫力あるし

 角食 1食分 あんじゃね

 

 一品は かぼちゃの サラダと

 生ハムと ピクルスで

 グリッシーニが 刺さってまーふ

 グリッシーニ ぽりぽり

 かぼちゃの サラダ

 生ハム 

 ピクルスを いただき

 こりゃ みょうが

 ナイフと フォークで かかりまふ

 ぐちゃぐちゃ まぜまぜで 食してくだされ

 つーんで

 わさわさ

 いただきましたーん

 角食は オーナーが 厳選した 

 市内の 人気パン屋さんの角食

 ・・・ ・店名は

 とりあえず ないしょにしとく

 

 センターは くりぬいて ないからね

 ふっかふっか なんだよね

 

 味がある うましパンに デミとチーズ

 このソース ほかの 料理でも

 バリバリ 使える うまさだよーん

 ごちそーさまー

 

 コーヒーは ボンタインさんの

 エチオピア 浅炒りだな いい酸味だね

 カップ&ソーサーは 

 ファイヤーキングで サーブ

 

 ボンタインさんの コーヒー豆も

 売ってなさるよ

 ボンタインさん いただけるとは

 思わなんだ

 名古屋ルートの コアな 豆も

 いただけるかも しれないね

 

 ついでに ドルチェ類も 充実

 いろいろ あっけど

 パフェ 終売の札 ついてたけど

 取り忘れだそうで

 できる つーんで いただいた

 あるもので 作るので 内容は

 都度かわる らしいよ

 ドルチェメニューも 乗っかるらしい

 

 ご到着ーー

 ささってるのは ラスクだね

 パン一斤の 両側の 耳で つくる

 そうな

 ベリー類を 

 いただき

 カラメルがけの アイスを いただき

 これは ナッツケーキ

 これは セミフレッド ごま味だ

 うましーー

 コーヒー おかわりーー

 

 サンドイッチを テイクアウトしたよ

「 もりもり サンドウイッチ 」

 撮影用に イートイン仕様で

 もって くれなすったけど

 これも かなり きてるー

 「 オニオンきのこの サンド 」

 ( 週がわりメニュー )

 

 家に 帰ってきて いただくー

 

 やっぱ すんげーな このサンド

 うーん がぶっと

 やたら うまいじゃないか

 うーん おそるべし

 

 なんか すごい お店が できたね

 今日の お昼とかは かなり

 混んだそうな 

 まだ フェイスブックや SNS の

 口コミ くらいなんだろうけどね

 

 情報誌とか TVも 動きだしてる

 ようだし ・・・・・・

 オータムフェストが 終盤だしー

 

 よさげと 思われたかたは

 今のうちに 行って みるのが

 いいと 思うよ

 

● リンちゃーん

    サンドイッチー もりもりーーー

● これが うましなのね

□□□□□□□□□□□□□□□□□

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