【コットンパールづくしのアクセサリー基礎講座】
私の大好きなお姉ちゃんであり、グルーデコの同期でもあり
大活躍中のビーズインストラクター
真っ平愛梨 じゃない 湊 三貴子先生考案の
アクセサリー作りに必要不可欠な金具の扱い、テグスワーク、ピンワークの技術を上質な国産コットンパールアクセサリーを作成しながら習得できるコースです
step1. リボンブレス
step2. じゃらじゃらピアス/イヤリング
step3. じゃらじゃらリング
step4. ビジューピアス/イヤリング
step5. Jyalan×2 Necklace または フラワーモチーフのロングネックレス
【費用・お支払い方法】
・材料・テキスト代
18,500円+税を一括前納をお願い致します
・レッスン費
@毎回5,000円+税をレッスン毎にお支払い
または
A一括前納の場合は 23,500円+税
コースで受けていただいても
お好みの作品のみ単発での受講も可能です
コースで受講の場合はディプロマ申請していただくとご自身でレッスン等も可能です。
趣味や自分用に作るのも良し、ご希望の方には初心者の方も経験者の方も一貫して販売、レッスン等お仕事にできる技術を習得する事を目標にじっくりご指導させていただきます。
お申し込みの際には
・金具のお色…ゴールドまたはシルバー
・ピアスまたはイヤリング
をお知らせ下さい
場所は
Clover Craft cafe&flower
舞鶴市小倉300-9
モーニングやランチも充実したカフェです
出張レッスンも可能です。
普段は車で関西圏内ウロウロしてますのでどこでも行きます
アンニョン
5か月ぶりのブログ更新です。ご無沙汰しております。ジュンジュンは、メッチャ元気に過ごしております。お休みをしてる間、コメント、メッセ、読者登録、いいね、など、改めまして有難うございました。
4月から新システム導入でお仕事がかなり忙しくなったのもあり、ブログを放置してたのですが、また、宜しければ遊びに来てくださいね。忙しいのは変わらないので、のんびり更新で〜す
ジュンギさんのドラマは、一通り、見させて頂いたので、今は、ドラマ全般、見る機会も増え、その時、見た物、聞いたもの、いいなぁ〜って思ったものをブログでご紹介させて頂こうと思います。なので、ブログのヘッダーや曲も模様替えしていきますので、その都度、楽しんで頂けたらと思います。←雰囲気作りでよく変わると思います(*ノェノ)キャー
今回は「奇皇后」
視聴された方、沢山、いらっしゃると思いますが、疑問などなかったですか?例えば、タファンが何故、流罪になったのか?とか、何故、弟が皇帝になったのか・・。
なので、わたくし、実際の歴史と比較してみました〜〜?!!!!
←まだみてない方は、こちらから
始める前に私が大好きな「タファン」について調べました。
タファンの役も最初から彼にオファーが来たのではなく、最初にキャスティングされたのは「ファン・ジニ」でハ・ジウォンさんと共演した「チャン・グンソク」さん。2013年8月8日付の韓国各メディアでは、「チャン・グンソクさんが『シナリオは検討したがスケジュールの都合で出演しない』と発表した」と報じていました。当時、チャン・グンソクさんが選んだのは「キレイな男」。そして、タファンの役はチ・チャンウクさんに回ってきました。このキャスティングには不安視する声も多く聞かれ、すでに撮影も始まっていたために相当プレッシャーがあったようです。初めに撮ったタファンは、遠くて、分かりずらいものに関しては、代役で対応してたようです。
ちなみにタファンの席が空いてたので共演者の男性数名、タファンの役をやってみたかったと言ってました。かなり、魅力的な役ですから。スペシャル映像を見て思ったんですが、その中でも、キム・ジョンヒョンさん、タファン役をやりたかった?!!!と、かなり、本気モードでしたよ:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
「キレイな男」全16話の平均視聴率は4.33%、「奇皇后」全51話の平均視聴率は21.9%でした。チャン君にとっては、思っても見ない大きなチャンスを手に入れた・・・。その分?!!!!大御所や演技派の俳優人が揃ってるので、かなり緊張感があったと思います。共演者のチュジンモさんは、チャン君がこの役をこなせるのか心配だったようだけど、予想以上の出来にチャン君の演技を好評価してくれてました。その証拠に2番手のキャスティングだったタファンが・・。「奇皇后」でヤンを一筋に愛し抜いた元の皇帝タファン役を完璧なビジュアルと素晴らしい演技力で注目を集めました(。+・`ω・´)キリッ
まず、人物の説明からいきますよ〜!!
なぜ、名前が「タファン」になったの??「モンゴル語読み:トゴン・テムル」タファンという名前は、トゴン・テルム=妥懽貼睦爾を“韓国語で「?????」=「タファンチョプモギ」と韓国読みしたものからつけられたそうです。
1320年5月25日 - 1370年5月23日←あと2日なので約50年
在位期間1333年7月19日 - 1370年5月23日←37年間
戴冠1333年7月19日(戴冠とは、帝王が即位後初めて王冠を頭にのせることと書いてありました)
王家 クビライ家で、父親は、コシラ。 母親は、マイライディ。
☆皇后:ダナシリ(答納失里 ?―1335) エル・テムルの娘。
☆皇后:バヤン・クトゥク(伯顏忽都 1324―1365)
子:皇子を1人生んだが、2歳で夭折している。
☆皇后:奇皇后 蒙古名オルジェイ・クトゥク(完者忽都) 1315年頃 - 1369年もしくは1370年以降)
子:アユルシリダラ
*貢女→次皇后→正皇后→皇太后
*アユルシリダラの弟は、トグス・テムル
至正28年(1368年)に大都を放棄してモンゴル高原に撤退したため、『明史』では1368年に帝位を失い、元は滅亡したとして扱われる。
*ドラマ奇皇后では、タファンは、撤退する前に亡くなってましたね
主要人物のみ
役名⇒実在人物名 クリックするとウキペディアに移動できます↓↓↓
●聞きなれない名前が出てくるので、上記の名前をご参考に
では、歴史と比較していきます(*^.^*)
即位以前
コシラ(タファンの父)が暗殺計画を逃れるため中央アジアに滞在した際に、中央アジア北東部のテュルク系遊牧民カルルク部族の族長の娘との間に長男として「トゴン・テムル」は、生まれた。カルルクは本来チンギス・ハーン王家姻族ではないため、モンゴル王族としては母の出自はあまりよくない。
*トゴン・テムル(タファン)の母の出自は、あまり良くない←ここを覚えておいて下さい
天順元年/天暦元年(1328年)、泰定帝崩御後に発生した内乱の際にはモンゴル高原を経て上都に帰還した父に従い元朝に復帰したが、コシラ(タファンの父)の急死によりその弟の「トク・テムル」が文宗として即位すると、文宗の甥である「トゴン・テムル」は宮廷から遠ざけられ、はじめ高麗ついで広西に流された。
*ドラマでは、絶対的な権力を握っている丞相ヨンチョルの策略で、高麗へ流罪となり、命を何度も狙われます。
タファンは、敵に警戒されないように、スンニャンと出会うまでは、無知なうつけ者のふりを演じてきました。強い(つよい)と書いて、強か(したたか)とも、言いますが、本当に字のごとくなのです。そして、これは生き延びる戦略でもあり、賢い選択。タファンは、挫折しながらも、自分に力が付いたところで、丞相ヨンチョルに反撃開始していきます。
*その道のりは長く・・・。出会ったあの日から何度も危機から救ってくれた
命の恩人「スンニャン」この出会いから、タファンは、劇的に変わっていきます。
←その変わっていく姿がこのドラマの大好きなところです
至順3年(1332年)、文宗が崩御すると皇后ブダシリは、その遺志に従いコシラの遺児をハーンに擁立することを提案、大都に留められていた、トゴン・テムル(タファン)の弟イリンジバルが即位したが、わずか2ヶ月で崩御した。トクの即位以来政権を掌握していたエル・テムルは、文宗の子であるエル・テグスの即位を計画したが、その母である、コシラの異母弟にあたる「トクテムル」の「皇后ブダシリ」により、固辞され、トゴン・テムルが広西から召還されることとなった。
エル・テムルには、コシラ毒殺説もあり、既に13歳となっていた、トゴン・テムルがハーンに即位すれば、自らの政治的権力が低下することを恐れその即位を妨害、そのためトゴン・テムルが大都に到着した後も、約半年間即位は延期され、至順4年(1333年)春、エル・テムルの病死により、ようやく夏に即位することができた。
*ドラマでは、丞相ヨンチョルがタファンの父を毒殺しました・・・。
そして、第14話タファンの父が残した「血書の存在」が明らかになります。
*タファンが流罪になったのは、上記のとおりで、あと、何故、長男であるタファンを差し置いて、弟が皇帝になったかと言うと、最初にお話した、タファンの母の出自は、あまりよくないから。現皇帝である病弱の弟イリンジバルが、亡くなれば、次の皇帝がタファンなのは言うまでもありません。
*ドラマでは、丞相ヨンチョルが、タファンが皇帝になった後も色々と企ててましたよね〜実際は、この頃、殺されたんじゃなくて、病死してたんだぁ
エルテムルが亡くなったのが1333年春、トゴンテムル(タファン)が即位したのが1333年7月19日。←亡くなった途端、即位です。エルテムル(ヨンチョル)の絶対的な権力が伺えま〜す。大都に到着したシーンは、13歳だったんですね!!!ドラマのタファンもどこか、子供っぽさが出ててメッチャ可愛かったです
治世前期の政争
即位した恵宗(タファン)は,従弟エル・テグスを立太子、その母ブダシリが太皇太后として恵宗の後見人としたが、実際には、エル・テムルの死後も軍閥が政権を掌握していた。中でもエル・テムルの死後軍閥中で勢力を拡大したバヤンが、中書右丞相に就任、エル・テムルの遺児による反乱を鎮圧すると、元朝内に強い影響力を有するようになった。
*確かにドラマでも丞相になったペガン(バヤン)は、人格もまるで別人に変わり、タファンへの忠誠心を利用して言葉巧みに、強い影響力をもっていきました。キ・ヤンとペガンの戦いが、ここから始まります。
恵宗(タファン)は、20歳を過ぎた頃よりバヤンの専権に反発するようになり、至元6年(1340年)、バヤンと対立していたバヤン(ペガン)の甥である、トクト(タルタル)と協力し、トクトによる政変を実行しバヤンを追放した。この政変の影響でブダシリとエル・テグスの母子は追放され、トク・テムル以来政権を掌握してきた旧勢力は、一掃されることとなった。
しかし、新たにトクトとその父マジャルタイによる政権掌握を創出し、トクトの勢力を駆逐すべく至正7年(1347年)、恵宗(タファン)は、トクト父子の政敵であった父のコシラやイェスン・テムルの重臣と協力し、トクト父子を甘粛に追放、しかし新たに強大な政治勢力が生まれることを警戒し、至正9年(1349年)には再びトクトを政権復帰させるなど、重臣間の政争に積極的に関与していた。
*実際だと、タファンが即位する数が月前に丞相は、病気で亡くなってますが、ドラマでは、キ・ヤンの活躍により、第37話「決戦の時」で、丞相やタプジャヘは、この時に殺され、タナシルリ(ダナシリ)は、斬首刑にあい、旧勢力は、一掃されました。
*そして、マハは、懐妊できないタナシルリが拾ってきた子供で、タナシルリの死後は、皇太后が養育し、ワン・ユとヤンに対する憎しみを吹き込むが、皇太后が言うことがすべて真実でないことを悟った矢先、バヤンフトの策略でヨム・ビョンスに毒矢を射られ、それがもとで亡くなります。
●マハはワン・ユとヤンの子・星(ピョル)。
*丞相になったペガン(バヤン)は、強い影響力を持ったため、ドラマでは、タファンではなく、ヤンにタルタルが協力する形で、タルタルの手によって、タファンの一番の忠臣だったペガン(バヤン)は、亡くなります。ペガンの甥であるタルタルは、民に一切、目を向けない、私利私欲に走ったってしまったとはいえ、ペガン(丞相)を手にかけてしまった、その、罪の意識から皇宮を去りますが、キ・ヤンの説得もあり、再びタルタルが丞相となり復帰。
一番の忠臣を亡くしたタファン・・・。
今まで何があろうとも一貫して、ぶれることなく、超〜?!!寵愛してたキ・ヤンを、睨みつけるシーン・・・。
キ・ヤンは、一度目を逸らし、タファンの方を見つめ返します。←タファンの悲しみが余りにも深すぎて目を逸らしてしまったけど、私は間違っていないと言う想いだったのでしょうか・・・。
キ・ヤン⇒なので、許しは請いません。その場を逃れる為に偽りは申せません。
タファン⇒夜が明けたら高麗の者を連れて宮殿を去れ、感業寺で1日100回、竹箆(しっぺい)に打たれよ。竹箆に打たれながら1づつ、罪を悔いよ。そなたが罪を認めない限り死んで亡者になろうと宮殿に戻ることは許さぬ。
感業寺で・・・。陛下と子供の事を一心に祈り続けるキ・ヤン。
タファンは、第49話「真の味方」に気づきます。それはキ・ヤン。
今、流行りの〜〜?!! ←ホンマかいな。バック・ハグ(〃∇〃)
このように中央で政争が続く中、地方では天災と疫病が相次ぎ民心は元朝から急速に離反していった。至正8年(1348年)には塩に対する厳格な専売制を採用したことにより、専売制に反対する塩の密売商人が中心となる反乱発生を契機に反元反乱が各地で続発した。特に至正11年(1351年)に発生した紅巾の乱は中国全土に波及する大反乱となった。
ひとまず、ここまでです*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
元・・・。〇〇です。姉御の過去の巻(//・_・//)
私・・・・。
実は・・・。
人に言えない隠し事が・・・・・。
あるんです。
それは・・・。
「元ヤン」
←元ヤンキーで〜〜す:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
カッコイイ〜〜〜〜〜!!!!!
元ヤンではなく・・・。
元の皇后、キ・ヤンよ
キ・ヤン、美し〜〜〜〜〜い
*私の超〜大好きなハジウォンさんこと、スンニャンが、たまに、ヤンキーの姉御に見える時がありますぅ(小声)
この姉御を一心に愛して、手に入れたタファンは、超絶かっこいい
目にホコリが入って・・・。ふ〜〜〜ふ〜〜〜〜
スンニャン寝言で・・・。 ⇒王様・・。
タファン⇒やはりワンユか・・。だが無駄だ。そなたを渡す気はない。私はそなたを離さぬ。
今日は、ここまで( * ̄ 3 ̄*)?
長文、読んで頂きまして有難うございました