伊路波市場
☆意識を意識して生きる。皆がそうすれば全体の気が」引き締まる気がする。
☆反省は結果を原因に返して0にすることの積み重ね。
☆目の前の現象について「原因」「理由」を天に投げると答えが返ってくる。」
☆「たった一つの「空」にすべての情報が入っている。もともとあるものを集めてくるだけ。心配はいらない
ので出したものが返るので、そのことこそ「信仰」。
☆「場」は見えない世界。「場」を作ることが見えない世界への理解。「場」(意識)をみんながどうやって作っていくのがいいか。
☆ 「人生変わった」「雷に打たれた」という言葉を聞くと、とても良かったと思う。家族もそう。家族で場を作る。相手の意識を考えているか。交流しているか。交流が振動。
☆人間の本当の仕事は法則を知ること。
☆戦争反対と言うよりも、今自分の居る場所で「場」を
作ることが真剣な生き方となる。
☆意識を読むことを続けていると、とても訓練になる。
☆「こうすればいい」と言う人はその人に問題がある。エネルギー不足だからこの人に充電してあげること。心が不満なので「こうすればいい」というので、認めるだけで場が変わってくる。意識を向けるだけで
場が変わってくる。
☆何のために意識圧をかけるのかを意識して圧をかけること。
そうすると行動が変化してくる。
☆「大事なことは、自立させること。」
※比較対照「言霊はこうして実現する」全文掲載サイト
第2章 自らが宇宙の創造主となる
「結局、一人一人が神となるしかない。もともと、そういう存在としてあるのが人間であり、人間とは創造主の仮の宿(やど)りです。だからこそ自分自身で神をつかまないと信仰になってしまう。拝んではいけない。神にすがりつくのではなく、決意表明をして、神の働きの一つとなるためにご加勢(かせい)くださいという姿勢が大事です。ですから、伯家神道には(祈願文としての)祝詞はなく、四つの祓(はらい)があるだけなのです」(※なお、この四つの祓を巻末に掲載)
2017年05月18日 木曜日
平成29年5月6日のテネモスミーティング名古屋から
一般財団 テネモス国際環境研究会の釘本理事長さんから
最初にお話いただきました。
列記させていただきます。
☆意識の大切さを飯島さんは話していた。
☆創造力を使うこと。
☆言葉の意味を考えることを本日の主題としたい。
☆「空即是色」おしゃかさま。
「気」と言う言葉はとても多い。「気」は見えないのにすべての
元となっている。すべての物を作っている。
☆気は生命。空気は生命の元。
☆自然治癒力。自然がつみあがっていくだけ。自然は作れない。
人間は分解しかできない。
☆空気はお掃除をしている。
ここで全員で鼻口による深い呼吸を繰り返す。
まず目を意識する。さらに心臓を意識する、そして頭の毛細血管を
意識する。松果体の汚れは病の元、頭の血管に生命を吹き込む。
後 場内がものすごい集中エネルギーに包まれる。
☆原点を意識する、空を意識する。本当の健康。
☆バランスは空色のバランスを本当にバランスという。
☆出したものが返る。出した意識が結果を生む。
☆法則をみんなが知ることでしか真の平和はおとずれない。
法則を知ることは「運命」を変化させる。
☆意識を意識して生きる。皆がそうすれば全体の気が
引き締まる気がする。
☆反省は結果を原因に返して0にすることの積み重ね。
☆目の前の現象について「原因」「理由」を天に
投げると答えが返ってくる。
☆たった一つの「空」にすべての情報が入っている。もともとあるものを集めてくるだけ。心配はいらないので出したものが返るので、そのことこそ「信仰」。
☆ぐらつくけど法則を守ることを続けないと、自分が何のために飯島さんとあったのかがわからない。
☆「場」は見えない世界。「場」を作ることが見えない世界への理解。 「場」(意識)をみんながどうやって作っていくのがいいか。 「人生変わった」「雷に打たれた」という言葉を聞くと、とても良かったと思う。家族もそう。家族で場を作る。相手の意識を考えているか。交流しているか。交流が振動。
☆人間の本当の仕事は法則を知ること。
☆戦争反対と言うよりも、今自分の居る場所で「場」を作ることが真剣な生き方となる。
☆意識を読むことを続けていると、とても訓練になる。
☆「こうすればいい」と言う人はその人に問題がある。エネルギー不足だからこの人に充電してあげること。 心が不満なので「こうすればいい」というので、認めるだけで場が変わってくる。意識を向けるだけで場が変わってくる。
☆地球に5〜6人くらい悟った人が居れば地球は変わってくる。 逆にその人たちがいるから地球が保たれていると感じる。
☆いつも全体のことを考えている人が増えれば増えるほど地球は輝く星になる。
☆空色のバランスが崩れると瞬時にバランスをとるのが自然。自然現象はすべてそう。エネルギー不足の場合は充填させる。
☆「あるがまま」は自然とはことなる。
☆子供への声かけは意識を向けること、エネルギー充填に同じ。
☆見えない不満は見える物質では埋めることはできない。
☆不満解消できないと病気という結果を与えられる。
☆自分には大きな力である「意識」が備わっているという自覚を持つということを皆が知ることが大切です。
☆実践することで結果が変化してくる。「意識を意識する秘訣」
☆憶念を読む。読むための絶対条件は自分のこころがざわついてはできない。自然は常に「0」なので「0」に戻す力。自分が自然波動にいないと憶念を読めない。常に「0」であることが災難を避ける条件になる。
☆意識を動かさない。意識を起こしたときにたたかれる。剣道の達人はそう。冷静にしているとよい。
☆エネルギー吸引状態にいる人は思いやりの人。そんな人に意識を向けただけで自然の人。
☆野菜への声かけが大切。「無視」は腐敗する。「バカヤロー」はすっぱい。「意識」を向けるとよくなる。
☆生徒に声をかける先生は人気がある。その人のことだけは生徒が話を聞くようになる。
☆レノンの歌のメッセージに気が付くことがある。「意識を意識する」ことを実践するとそのことに気が付きやすくなる。
☆「物質の圧を高めることでエネルギー吸引状態になる。部品を呼び込むことになる。
☆「意識圧」をかけることで吸引状態になる。
☆何のために意識圧をかけるのかを意識して圧をかけること。そうすると行動が変化してくる。
☆物質にほこりが溜まるのは吸引状態だから。身体を清掃することでエネルギー吸引状態にしている。
病気を作らない秘訣となる。
参加者の方のお話から。
☆真菌性皮膚炎。季節の変わり目にかゆいのでつらい。
何をしても治らないので、バンブーMのお風呂に入る。
普通お風呂に入るとかゆいのだが、まず「かかずにいられる」
のが不思議だと感じる。
症状にこだわってきたが「原因」を意識していなかった。今日の話で
そのことに気づいた。どうしてこうなっているのかにフォーカスして
真剣に取り組んでいきたい。
A.テネモス品は物なので、道具としての品はきっかけなので
道具に頼り過ぎないことが大切です。吸引サイクルの場にいると
心地いい。かゆいのは酸欠(エネルギー不足)。善悪分離の心は
なく、サイクルしかないというように考える。
☆伊良湖の「まるえい」さんに行ったときの気づき。
埼玉のテネモスさんに団体で行って、飯島さんにお会いしたときに
知識でしゃべる人はズバズバ切られていた。
糖蜜をいただいた。糖蜜で小松菜を育てている。
料理に興味がある。出汁に興味がある。
「気になったことは実践すればいい」と飯島さんに言われた。
場所がちがうと水が違って、水が違うと出汁がでない。
ヨーロッパの水は硬水なので軟水しか出ない。
まるえいさんに行ってお風呂の壁の石灰を見た。
自分のお風呂の壁にさっそく実践した。
帰りに山に登った。パワースポットだったが頭痛で25分の路が
登れないと思ったが「思ったらやる」を実践した。
瞑想を毎日続けていた。頭痛は始めてだったが原因不明。
原因は何かを考えた。混乱した状態が頭痛の原因だった。
行動に移したことでステージが変わった。
翌日には頭痛は消えた。
「積極」が大切と大きな気づきをいただいた感じがする。
☆ 質問: 意識を読むことは0にいることだけど他になにかありますか。?
A 意識をまず向ける。観 察すること。見て察すること。
憶念を察する。相手の意識を引き出す努力をすると
さらにわかる。それだけで認めたこと。吸引状態になる。
砂糖と塩は微生物を増やすもの。焼き塩は強アルカリなので
酸を呼び込む。殺菌は微生物が増えたことになる。
植物の病は土の病。魚は水の、人間は心の病となる。
糖蜜は強力。微生物の増大。海水が茶色になると海老の共食いが止まる。
砂糖と塩を両方入れるともっと甘くなる。外食がだめなわけは
自分の波動と合わない。レシピどおりは自分の波動にあわない。
料理を考えながら作ることはすでに自分の波動にあわせることです。
☆アグアをなんにでも使っている。金魚や肌にも使っている。
水がきれいになって金魚が元気。いいと感じた。いろいろ続けたい。
☆花粉症。自意識が強い人がなると聞いた。汚れエネルギー不足。
介護職。職場が汚い。情報整理もできていない。
自分を愛していなかった。まず自分をケアしなければと感じた。
職場を良くするのにはまず自分のことと感じた。
A 自分の思いを大切にすることがまず大切になる。
☆今日感じたこと。言葉は波動。無視はダメ。一方通行はダメ。
☆知花先生に学んだ。「雨がよく降る。」知花さんがよく言っていた。
この地が産業が多いからだったのだろうか。「偶然はない」と学んだ。
「神は科学で律法であり法則である」とも。
☆二度目です。バンブーとマナウオーターが気になった。
お店に行って見てみたい。
A 7月からビルの二階でテネモスミーティングをします。
その2階に展示します。もしその前に必要でしたら山善に
おいでください。
☆エネルギー不足。さびしい人。反省すると自爆。
呼吸することをやっている。
A 反省は0に戻すこと。反省も瞑想も0に戻すこと。
☆ピッコロボードに調味料とかいろんなものを置いている。
バナナ腐らない。黒点ができても中はほとんど白いきれいな状態。
バンブーをトイレにいれてみた。トイレがせまいので吸引状態になる。
トイレのほうがバナナが長く持った。
☆感動しました。友人に苦手な人がいて、変わらないと思っていた。
変わらないのは自分だった。次回は意識を読もうと思います。
☆歯が悪くて、焼き塩で磨いたら出血が引いてきた。
焼き塩水を小さなペットボトルに入れて持っていた。
長時間労働で疲れていたときに周りの状況が変化して、
社長の言葉がかかって仕事を変更できた。自分がおまかせと
思っていたから、自分の圧と焼き塩水に共鳴がおきたのだろうか。
バンブーでブクブクしていると食べ物が相手を喜ばせようと
質を自分で変更してくることがあると聞きました。(レストラン柊にて)
☆以前からだが調子が悪くて少し元気になってきたので何故?
と思った。治ってきたのはエネルギー不足が不調の
原因と一瞬でわかったから。
言葉も文字もみんなエネルギー。いままで考えていたことが
すべて逆だと感じてそれまでの思考が変わってしまった。
子供にも自然の法則(宇宙の法則)がわかれば楽になると
言っているが、まだ?です。
☆子供である形がこの世に出てくると、あたまで考えることが
こんなにあるのかと思ってしまう。
大きな変化が最近にあった。四月に歌の仲間の死があって、
その仲間の大きな変化から自分も心の平静が保てない状態にあった。
子育てが原因。太陽を見ることで治った。
分離があったからその人の話にであい自分の状態も異常となった。
☆掃除しない人ですが、外国の友達が来るので掃除した。
20袋のゴミが出た。掃除すると気持ちがいい。
高校の生徒を教えていて、ノートに自分で思ったことを
隣の人とノート共有をして質問するようにしてもらった。
その数を4人のグループにした。二人より4人で考えて
質問するとよい点数をあげた。
そのようにして教育している。
A 大事なことは、自立させること。
2017年05月18日 14:09:[] | |
※備考と共通項
七沢氏は、言霊の発声も同様に脳やDNAへ働きかけているのではないかと考えており、そこで想定される、言霊(言語)のエネルギーの伝播プロセスとして以下のような仮説を立てている。
[第1段階]物理的レベル
日本語が理解できる人の周囲に、空気の振動という物理現象として日本語の意味を持つ「音」が存在する。
[第2段階]生理的レベル
この日本語の「音」が耳に入って鼓膜(こまく)を振動させる。その振動は内耳(ないじ)にある蝸牛(かぎゅう)の前庭窓(ぜんていそう)を振動させ基底膜(きていまく)に伝えられ、そこで「音」の周波数が分析される。さらに神経信号に変換されて聴神経を通り、脳に伝達される。
[第3段階]心理的レベル
脳が日本語の「音」の神経信号を認識する。
[第4段階]DNAレベル
その神経信号は日本語の言語というエネルギーとして神経繊維(せんい)から各細胞に伝えられ、各細胞内の分子がDNAと共振する。その結果、遺伝子(DNAの特定箇所)の情報と共振し、その情報を利用できるようになる。
四章 客観視によるゼロ化への道
客観視は、これらの階層を客体化し観察することで成立する。では、階層から階層へ客観視をとことん突き詰めていくと、どんな地点に行き着くのか?
実は、最後の最後は客観できなくなるのである。つまり、主体があり客体があって初めて客観視が可能になるのであって、客体、すなわち見られるものがないと客観視は不可能となる。
自分の足から順番に体を見ていってほしい。腹部、腕、胸……そこまではいい。鼻も見えるかもしれない。しかし、自分の眼で自分の眼を見ることはできない。
同じように主体が客体を見ることはできても、主体が主体を見ることはできない。ゼロをつかむとは、自分の眼で自分の眼を見ることに等しい。つまり、見るのは不可能ということだ。だが、見えないからといって、それがないわけではない。そう、見えなくても確実に「ある」のである。
それを最終観察者といってもいいだろう。言挙(ことあ)げできない存在がそこにある。これに関して七沢氏はこう説明する。
「皆さん究極の存在として神様の名前を欲しがりますが、名前をつけるとそこに新たな破れが生じます」
つまり、観察されるもの、名付けられるものが何もなくなって初めてゼロと一体化できるのだ。
もちろん、これでは「意識を無に持っていくにはどうすればいいか」という問いへの回答にはならない。いかにそれが難しいかを説明しただけだ。ただ、階層性という考え方はご理解いただけたことと思う。
白川の門前にて
公の精神を貫く
「公の精神」という言葉を聞いたことはあるでしょうか。
「公」とかいて「おおやけ」といいます。
「おおやけ」の言葉の起源は不明ですが、語感からは、大きい屋根の下で、皆暮らす、というような意味と捉えられます。
神道は、この「公の精神」を貫くための教えといえるのです。
人類皆平等の精神、そういっても、いいかもしれません。
この公の精神は、本来、国を治める者にとっては欠かせない精神です。国を治めるにあたっては、全員が、幸福になるように国を作らなければ、いつか、幸福ではないものによって、反乱がおき、国を守ることができなくなるのです。
国を、会社と見立てれば、企業経営者は最終的に行き着く先にあるのは、公の精神といえるのです。
そのような、大きなビジョンをもって、古来よりすめらみことの統治が行われてきたからこそ、この国は、この国の経営は存続してきたともいえます。
しかし、現在の資本主義のように支配・被支配を前提とした構造の場合、私は豊かで、幸せである、しかしそれは、誰かを支配し、搾取しているから成り立っているとした場合、支配されている人間の住むあばら家の上で、支配者の生活が成り立っています。
国単位で見れば、先進国が、途上国を支配し、会社単位で見れば、大企業が中小企業を支配し、という構造が資本主義の縮図です。
しかし、そこから脱し、独自の発展を遂げている国、会社もあります。国では、最近民主化の流れがあるようですがブータンが有名でしょう。会社では、身近に存在する元気な中小企業さんを思い浮かべてください。それは、その国や会社の中で「公の精神」が根付いているから、支配・被支配の構造にはまることなく発展ができているといえます。
「公」が心地よい、そう思える「情緒」が、人と人を繋ぎ、揺らぐことのない目に見えないネットワークをはぐくむのです。
ここでのポイントは、公の精神を貫けば、その集団が、社会を作り、新たな社会構造を産み、既存の支配的な社会とは違う、独自の発展をすることができる、ということです。
その時に、人は、「物」や「力、エネルギー」でつながるのではなく、「意識」や「情報」でつながります。
構造的に言えば、「物」や「力、エネルギー」には、支配・被支配という構造を産む二項対立を生む構造を、潜在的に持ってしまっています。
「物」は、「持つもの」←→「持たぬもの」、「力、エネルギー」は、「発する(出す)もの」←→「受けるもの」という構造です。
一方で、「意識」には、二極がありません。集合無意識という言葉があるように、潜在的には、意識は、すべてつながっていて、分けることができるものではないのです。情報も同じです(情報に物理的制限が加わると、得ることができるもの、できないものという対立を産みますが)。
「意識」「情報」を主体にした、経営、行動が、道を開きます。その方法は、神道の古来からの教えの中にあります。
神道は宗教か
「最も包括的には「宗教とは、本来自明ではない超自然的な存在に関わる事柄を、自明なものに変換し、人々をそのように振る舞わせる社会的装置である」と定義できよう。神仏を始めとする超自然的存在は、本来自明(当たり前)ではない。しかし信者はそれを自明のものと考え、改めて疑うこともせず、また時として、その存在について問わないことを強いられる。さらに信者は日々の生活や儀礼を通して、超自然的存在が自明のものであるかのように振る舞う。このように、人々の信念や振る舞いを方向づけるものとして、人間が作った仕組みが宗教である。」(岩井洋 関西国際大学教授 / 2007年)
そして、この定義に当てはめると、学校教育から、親の小言からすべて、「宗教」になります。
「(宗教は)本来自明ではない超自然的な存在に関わる事柄を、自明なものに変換し、人々をそのように振る舞わせる社会的装置」
この定義は、「神秘(超自然的な存在)は存在する」ということを、「前提」としています。
しかし、もしも、神秘が神秘でないとしたらどうでしょうか。宗教は存在しないことになります。。。
「神秘」
このことに惹かれて、何かを探求している人は本当に多いです。「奇跡」「シンクロニシティ」「御縁」「不思議な力」「パワースポット」こういったものを、「神秘」とあがめ、求めていると、宗教になるんでしょうね。。。
しかし、それらの一般には「神秘」とされているものが「日常」に成ったら。本来の、惟神の教え。神は秘められたものではなく、八百万の神々が、どこにでもいて、そこら辺の石ころになって転がっているし、私も神である。
そういった「道」を人生の中で歩むことができたとしたなら、神は秘められたものではなく、「日常」の中に納まります。
これが本来の、神道の教えであり、日本人の姿です。
例えば「袖振り合うも多生の縁」。こういった言葉が、日常用語にあることは特筆すべきことだと思います。神秘が日常であるという、ことを象徴しています。そうなると、「神秘」はなくなります。
「神の力」や「神秘」を振りかざし、あがめさせ、それをもって、人の心を支配する、そういったことが、宗教を産んでいると思います。
しかし、「神秘」が日常に成ったらば、そういった支配を受けることもありません。
神秘と神秘でないものとの境目を決める科学的権威や、人のあるべき姿を定義する道徳的権威からも、支配されず、本来の、あるがままの生き方をできるようになると思います。
本来の日本人の生き方を思い出す時だと思います。